【「チューニング」をとても大事にするKOWさん。音楽家なら当然。でも、吾はそれほど「チューニング」にはこだわらない。多少外れていても平気。その外れ方が「おもろい」、と思える時もある。でも、それでも、以下の「ファイン・チューニング」についてのシュローダー・シーカーの教えは、とても大切だとおもっている。】
シュローダー=シーカーは、隠喩的な表現を2例用いてメタノイア(内面の変革・変容)のプロセスを指南している。
その一つは、「ファイン・チューニング(fine tuning)」である。ファイン・チューニングは文字通りの意味では、音楽を演奏したり歌を歌ったりするときに、楽器や声のピッチをある基準(周波数)に合わせていく、微調整していくという意味である。そしてこの“合わせる、微調整する”という行為は、注意深く耳を傾けて今この瞬間に聞えてくる声・音を聴き(知覚・識別し)、受け止め(認知し)、それに合わせて呼吸器官、発声器官、全身の筋肉を調整して、声や音を出す状態に持っていくという、高い意識集中のもとでの知的操作と精神運動が結び合わさった営為である。このことをふまえ、シュローダー=シーカーは、声や音のピッチと意識の状態との関係を次のように指摘する。
<…自分の声がうわずっているとき、それは自我意識が無意識のうちに前へ出すぎている状態です。つまり我を張っていて全体の調和を乱しているのです。反対に、音に張りがない、低めになる、そういう時は気持ちが後ずさりしている状態で、もっと勇気をもって前へ踏み出す気概が必要です。これはハープの弦をチューニングするときも同じことです。>(*Schroeder-Sheker, 2005a, 57)
しかし、ファイン・チューニングは、自我意識の状態を確認し、声や音、そして意識の働きを変化へと招くメタファーとなるだけではない。ミュージック・サナトロジストとしての関係性のとり方、すなわち調和的な「あり方・居方」を生み出していく隠喩的指南でもある。シュローダー=シーカーは以下のように続けている。
<ファイン・チューニングは、全体の脈を採る一つの方法です。その脈の状態を通して、私たちはどれだけ世界や共同体に影響し、逆にどれだけ影響を受けているかを知ることができます。完全に調子が合っているとき、つまり我を張ったり気後れしたりしていないときには、私はまるで見えていないかのようです。そこにあるのは、他者の幸福のために働くという徳性だけです。ミュージック・サナトロジー実践においては患者が中心です。ミュージック・サナトロジストは見えなくなることが必要なのです。>(*Schroder-Sheker, 2005a, 57)
*Schroeder-Sheker, T. 2005a. Prescriptive Music: Sounding Our Transitions. Explore: The Journal of Science and Healing, 1
*
0コメント